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昭和20年8月15日正午
第27回戦没者追悼中央国民集会での長谷川三千子先生のお話です。



ずいぶん以前となりますが、私、初めてこの国民集会に参加して、昭和天皇の終戦の詔書を拝した時本当に涙が止まりませんでした。悔しい、悲しい、戦争に負けるというのはこんなに悔しくて悲しいことなのか、もう、私の生まれる前の年の日本国民の気持ちがそのまま自分の心に乗り移ったように、いつまでも涙が止まりませんでした。

この8月15日は「終戦記念日」と呼ばれていますけれども、これはもう本当に悔しい、苦しい、苦い敗戦なんだ、そういう痛みで心の中がいっぱいでございました。で、その敗戦の痛みを半世紀前の日本人と分かち合うという、そういう体験をして、私なりにいろいろ考えてみました。この敗戦を乗り越える、これにはいったいどうしたらいいんだ? もちろん一番現実的な手っ取り早い方法は「もう一度戦争して勝つ」というそれ以外にはありません。

ただし、果たしてもう一度戦争してそれに勝って、あの痛み苦しみというものは癒されるのだろうか? それが本当の解決になるのだろうか? そういう疑問がまた浮かんで参りました。何か、この昭和20年8月15日正午という瞬間には、ただの戦争の勝ち負けではない、もっと深い、もっと尊いものがあるんではないか、そういう疑問がわいてきました。

で、この疑問を胸に抱きながら10年以上の間模索し続けて参りました。ようやく答えらしきものにたどり着いた気がします。ただたどり着いてみると、実は本当に当たり前の単純なことでございました。

一口で言うと、昭和20年8月15日正午という瞬間は、我が国の国体がもっとも純粋な形で、ほとんど絶対的と言っていいような高みに達した瞬間、世界の歴史の中でもこれに比べられるようなものがただのひとつもないような、そういう途方もない瞬間であったという、こういう思いでございました。

ここにお集まりの皆さんはよくご存じのとおり、日本の国体というものは実にシンプルな、単純な形でできあがっております。我が国の天皇陛下は古来より民を「オオミタカラ」として尊び、そして我が身のいかなる犠牲を払おうともオオミタカラのために祈られ、政をなさる、そういうご存在でいらっしゃいます。

これはもう記紀のうちに描かれている日本の一番古来の政治道徳の核心であります。と同時に日本の国民はまた同じように我が身を捨てても我が国、天皇陛下のために尽くす、そういう決意を心のうちにいつも持っている、そういう国民であります。

これもまた日本の誇るべき古典である万葉集の中に大伴家持が長歌として詠んでおります。

海行かば 水漬く屍 
山行かば 草生す屍 
大君の 辺にこそ死なめ 
かへりみはせじ

この大伴家持という方は、もう代々もののふの家系に生まれ育った方であり、その誇りをこういう歌に詠まれた方であります。

しかし大東亜戦争の時に日本国民は、たとえもののふの系譜に連なる家の人間でなくても、一介の漁師、百姓であろうとも、この大伴家持と同じ決心を持って戦いに臨みました。殊に昭和20年、戦争末期になってからは、この靖国神社に祭られている英霊の方々だけでなく日本国民のほとんど全員が、本土決戦の中で自分の命を落とすということを静かな覚悟のうちに、本当の「諦め」という言葉の本来の意味を持って諦め、受け入れておりました。まさに日本の古来の「海行かば 水漬く屍」、そのもののふの心を日本国民全員が我が心としていて時代でありました。

そして一方では昭和天皇は、今拝しました終戦の詔書にもありましたように、この国民の安寧、日本国民だけでなく、世界全体の平和と安寧を願う、それを皇祖皇宗の遺訓としてずっと政に携わっていらっしゃいました。その大事なオオミタカラである日本国民が次々に倒れていく、それを目の当たりになさって昭和天皇がどれだけ心を痛めていらしたか、これはもうご拝察するのも苦しいほどであります。

何でもっと早くポツダム宣言を受諾しなかったのか、多くの言論人が戦後無責任にもそういう非難を浴びせかけます。しかし、ポツダム宣言受諾は、すなわち天皇陛下の御一身のお護りということを放棄するということに他なりません。日本はそういうジレンマの中に立たされていたわけです。そしてこのジレンマをまさに一刀両断したのが、8月9日深夜御前会議における天皇陛下のポツダム宣言受諾というご聖断でありました。

このご聖断は、まさに天皇陛下が御一身を投げ出して日本のオオミタカラを護る、そういう古来の政治道徳の中核を実現なさったという、こういう瞬間でありました。

そしてその御前会議の席上で天皇陛下ははっきりと「自分はどうなっても構わない」という、こういうお言葉を発していらっしゃいます。今我々が拝しました終戦の詔書はおおむねこの御前会議の席上での昭和天皇のお言葉を元に書かれております。しかしそこには「自分はどうなっても構わない」というこの陛下のお言葉だけは省かれております。もしそのような言葉が公になれば連合国はもうここぞとばかり真っ先に天皇陛下の処刑という、そういう形で戦後を出発させる、このことは目に見えていたからであります。

我々日本国民は日本の敗戦を告げるこの終戦の詔書を拝しました。そしてその時、自分たちの命は救われた、自分たちが捧げた命は自分たちに戻された、そういうことを知ったわけです。しかしそれは同時に天皇陛下ご自身の命を国民のために捧げられた、そういう瞬間でもありました。

我が国の古来からの国体である天皇陛下と国民がお互いに自らを犠牲にしあってお互いを尊ぶ、この形が本当に頂点に達したのがこの8月15日でありました。天皇陛下は密かにこの時のお気持ちを御製に詠まれております。

身は如何になろうとも
戦止めけり
ただ倒れ行く民を思って

この御製は昭和40年になってようやく日本国民の知るところとなりました。しかし心ある国民はこの秘められた御製を、この終戦の詔書のうちに聞き取っていたと私は思います。

そしてそのような瞬間を考える時、この昭和20年8月15日正午という瞬間は勝ち負けでもない、国と国の境すらない、本当に崇高な我が国のカミガミが顕現したという、そういう瞬間であったと思います。

戦いに敗れた後折口信夫は「カミ敗れたまふ」と歌を詠んでおります。彼にとって敗戦は日本が敗れ日本のカミガミも敗れ、我々がカミを失った、そういう出来事であった、そういう絶望のうちに折口信夫は死んでいきました。

しかし今我々はそうでなかったということを知っております。この昭和20年8月15日正午という瞬間は、先ほど申しました通り、世界のどんな歴史を探しても例のない崇高な瞬間であります。そして、こういう瞬間を持った民族は決して滅ぶことがありません。

みなさんご承知の通りまだまだ汚い世の中であります。汚い世界であります。しかしこの至極の瞬間を我々の宝として抱く時、我々は本当の意味での日本を取り戻す第一歩を踏み出すことができると信じております。みなさん、頑張りましょう。

【第27回戦没者追悼中央集会[桜H25/8/16]】

終戦の証書 写真3
終戦の証書 写真2
終戦の証書 写真


終戦の日、何を書こうかずっと考えていて、結局長谷川三千子先生のこの演説にしました。彼女のお話ですので旧かな遣ひで書き起こしたかったのですが…^^;



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