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(旧)地球の反対側で愛をつぶやく

人は、その国民性(民族性)を越えることができるのか? 『魔女の宅急便』



『魔女の宅急便』仏語版は『KiKi la petite sorciere』 これは欧州の背景で、登場人物も欧州のどこかの人、まあ、魔女に国籍があるのかは知りませんが…

これを見ていた娘のBF(フランス人)が面白いことを言っていました。

「何か、ストレスかかってんな~。 背景ヨーロッパだし、みんなこっちの人の顔しているけど、中味はみんな日本人だし~。 約束時間に5分かそこら遅れたからって帰っちゃうなんて、フランスじゃ絶対あり得ないって…!」

何たって、学校の集まりだとか何かの集会とか、約束の時間に行ってもダラダラダラダラしていて始まるのは1時間後…なんて感じのお国ですからね~。 電車だって10分くらいの遅れはお約束のうちだし…。

『魔女の宅急便』も何にしても、例え背景が欧米だろが、登場人物が金髪碧眼だろうが、中味はみんな日本人 …作っている人が日本人なら、発想がその枠から外れることはまず不可能、どこまで行っても日本人なんですね。当の本人は分からないけど、その外にいる人が見れば一目瞭然。

…これはどの国の人にも言えるわけで。その国、その民族の考え方から完全に自由な発想などまず有り得ない。 もちろん人類共通とかそういうのもあるのですよ。 それがあるからこそ世界中で受け入れられるわけですから。 実に興味深いです。


『魔女の宅急便』仏語版




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2010/06/11 [22:31]

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