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歴史



国連、ナチスの英雄化阻止を世界に要請  22.12.2010, 10:41

 国連総会では21日、全ての国に対してナチズムやナチス親衛隊の英雄化、およびファシズムの犠牲者の記念碑の冒涜や破壊の試みを阻止するよう求めた決議が採られた。
 129カ国が賛成、反対は米国、パラオ、マーシャル諸島の3カ国だった。ヨーロッパ連合(EU)加盟国やウクライナ、グルジア、モルドヴァなど52カ国は棄権した。

 今回の国連決議は05年からロシアのイニシアチブで審議されてきたもので、徐々に支持を集めていった。

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さて、わが日本は…まさか、賛成? 反対? それとも棄権? … ヒトラー以上にユダヤ人虐殺をしたスターリンのお国、ロシアが恥知らずにもこういう提案をするとは、…

私は、ヒトラーのユダヤ人虐殺がなかったとは、詳しくないしコメントは避けますが、それにしても、それについて議論も許されないというのは異常であることは分かります。ユダヤ人虐殺600万人説に懐疑的意見を言うだけで公職追放のヨーロッパ。 つい最近も現ローマ法王が否定したとかしないとかで大騒ぎになっていました。


古代エジプトのピラミッドが実は『農閑期の仕事提供の公共事業だった』というのは定説になりつつあると思いますが、これだって、将来的にはまた別の分析が出てくる可能性もあるわけです。

つまり、『歴史』とは、新しく発見された情報を分析、あるいは既存の情報を新たに分析しなおすことによって、いつでも「見方」が変わる可能性のある《何か》であり、そこに「絶対的な見方」は存在しない、というか、できない。

過去を、新しく発見されたものから、《作り上げていく》のが『歴史』である以上、『絶対的な何か』を見つけることは不可能であることぐらい、ド素人の私ですら理解できることです。 常識で考えれば。

『歴史』…つまりは『過去』を、現代の価値観で見てはいけない。

『歴史』は、善悪で見てはいけない。

『歴史』は、当時の価値観でもって見なければいけない。

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で、思っちゃうのですけど、例えばナチスユダヤ人虐殺600万人が定説ということで、ホロコーストがなかった、とか人数は少なかった、とか言っちゃいけないわけですが … じゃあサ、もし将来、実は1200万人だったってことが証明されちゃったらどうなるのでしょう? そういう場合にも600万を変えちゃいけないのでしょうか? そりゃまた酷いじゃないですか?

南京虐殺だってなかったわけですが、もしかして何時の日か、もしホントの××虐殺が見つかっちゃったら、保守派の人たちはどうするのでしょう? そしたら手のひらを返して、今度こそ本当に「日本軍は悪かった」「戦前は悪だった」と叫ぶのでしょうか?

大切なことは、そういった「過去」を現在の価値観で見ないこと。なぜそうなったのか、を当時の状況から分析し、将来の参考にはしても、現在の善悪で断罪しないこと。これは「言うは易し」で決して簡単なことではありませんけど。

美智子皇后の平成9年のお言葉より。

現在の問題でも、日本の過去に関する問題でも、簡単に結論づけることができず、さまざまな見地からの考察と、広い分野の人々による討論が必要とされる問題が数多くあります。 複雑な問題を直ちに結論に導けない時、その複雑さに耐え、問題を担い続けていく忍耐と持久力を持つ社会であって欲しいと願っています。


『歴史』と対峙する時は、素直な心で、謙虚に、でも「発見されてしまった事実」に耐えうるだけの精神的強靭さが必要です。 絶対的な、確かな何かがない、常に不安定な状態の中で生きていけるだけの強さ。

… これって何についても言えることですけどね。今の「何か」で得をしているから、それが違うと分かっていても、そこから方向転換することができず、それにしがみつく。今までの自分を否定することにもなってしまうかもしれないのですから…。

歳をとるにつれて、自分が今まで信じていたことを覆すことは難しくなってきます。直視することが難しくなってくる。どれだけ素直に物事を考えられるか … 自分の頭の若さのバロメーターにもなります。

それにしても、それにしても … 何で現代人はこんなにも高慢になってしまったのでしょうか? … イヤ、「世界のサヨク」と言ったほうが正しいのかな? 自分の価値観で、反論できない「過去」を断罪する…。

いろいろ話が飛びますが、思うに「サヨク」って、簡単で絶対な「何か」を与えてくれるのでしょうね。 だから、モノの複雑さ、不安定さに耐えられない「弱い人」は飛びついちゃう…。本当は人生にそんなものなんてありはしないのに。

話戻って、だいたいロシアに関して言えば、ドイツとロシアの違いは、敗戦国か戦勝国かだけでしょ? ああ、この高慢ぶり! 許せんよ。 賛成したバカ国家はどことどこだい? 129カ国! まさかこの中に支那とか南北朝鮮とか入っている、なんてことはあるまいな????







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2011/01/17 [01:43]

日本文明



西暦2012年、世界は崩壊する、と言われています。 「イヤ、世界は、ダラダラグチャグチャ、混乱しながらも続いていくんだよ」…と私は答えています。 でも、こうも思うのですよね。 2012年、崩壊するのは西洋白人的価値観だ、と。今まで世界を覆いつくし、今まさに亀裂を生じているあるひとつの価値観。 … その次に来るのは何なのか? 私は、日本的価値観だと…。 間違っていけないのは、苦しくとも直視しなければいけないのは、復活させるべきは日本の、伝統的価値観であり、今の日本は、(日本も他国同様) 白人列強の価値観にドップリと浸かってしまっている、ということです。 今の日本国内の混乱は、今年更に拍車をかけ、明治から続き、敗戦後拍車をかけた戦勝国価値観が崩壊し、その大混乱の中から、2012年、古くも新しい日本文明価値観が蘇るのだ、と。 そのための、生みの苦しみなのだ、と。

いいのかな? こんなことしちゃって。 尊敬する西村修平氏の和歌です。とっても心に響いたのでここで紹介させていただきます。

陽のひかり 知らずに生きる たくましさ 名もなき草に 我もかくあれ

皆様、それぞれの立場で、できることを、くじけず諦めずコツコツと続けていきましょうね … !

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さてさて、日本文明。 日本文明って、突然ですが、例えると「透明人間」みたいじゃありませんか? 外から入ってきたものが結局「日本的」にぐにゃりと変形して収まってしまうのですが、実際、日本人ですらもその「日本的なもの」が何なのか、実はよく解っていない …という。

この「日本的に変化する」というのは何も日本に限ったことではなくて、どこの国、どこの文化、文明でも多少なりとも起こっていることです。 至近な例ですと、フランスにスシが入ってきましたよね。まあ、90%以上は支那人によるスシ屋だそうですが。 …で、今では、フランス人によるスシ屋も出てきているのです。そうすると当然なんですが、フランス人テイストのスシになっている。

アニメなんかもそう。こちらのアニメと日本のそれを比較すると天地の差があるのですが、最近、タイトル忘れましたが、TVアニメ見てました。…で、それ、構図とか作り方が日本作品に見えるのですが、何かが違う。 …それを眺めながら「これはニッポンアニメを見て育ったフランス人が作ったアニメに見える」と評したら「そうだよ」って答えが返ってきました。色彩のセンスだとかとてもフランス的で、ニッポンアニメに見えるんですけど、この感覚は日本人じゃないな、というのが分かる。

でもこちらのフランス文化というのか欧州キリスト教文明というのか、それはギリシャ・ローマ文明、更にはエジプト文明まで遡り、フランス語もラテン語の変形で…って、要するに、源流が見えている。キリスト教も聖書があり、自分が何なのか見えているのですね。

ところが日本文明は、主体的にそういうのが分からない。 日本語の源流も分からない …。だから「透明人間」と同じで、自分は存在しているんですが、自分自身でも見ることもできず、鏡にも映らないし、それで常に「他者」が、要するに身体にまとう服(包帯?)が必要になってしまうのです。 それは支那文明だったり、欧州文明だったり、戦後のアメリカ文明だったりする。

我が国の歴史を見ると、飛鳥奈良時代にドーッと支那文明が入ってきて、実際当時の外国人比率は今以上だったようですが、それが菅原道真の遣唐使廃止頃から(つまりは「鎖国」?)グーッと国内で外来文化・外国人を「日本化」する「熟成期」があり、また戦国時代あたりにドーッと外国文化、今度はキリスト教文化かな? が入ってきて、江戸時代の「熟成期」へ続く…で、次が明治維新で…って感じ? 「他者」を通してしか自分自身を見られない、という日本文明の宿命 … ところが! 『ヲシテ』が見つかったのですよ! これ自体は江戸時代に既に写本が見つかっており、それを松本善之助氏が偶然再発見し、その愛弟子・池田満氏が「ヲシテ文献はヲシテ文字で読まなければならない」と更に深く研究されています。 ヲシテによるとそれ以前のヤマトタケの時代にもちゃんと(!)大陸文明に影響され、それから日本文明を護るために国内が動いていたようですよ。やはり大陸からやってくる外国人は多々いたようですし…。

今のところ学会・既得権勢力には無視されているそうですが…これって、実は凄いことですよね!? だって、これでよく分からなかった日本語文法も説明できちゃうんですけど、要するに、日本文明の源流、縄文文明の歴史や哲学なわけで… 私たち自身の姿を、初めて「主体的に」見ることができるのですよ? 支那文明だの西洋文明だのそんなものは必要ない。「自分はこれだ!」というのが明確になったのです。 「透明人間」の姿が現れたのです。 …よくもまあ、21世紀の今まで残っていてくれました!って感謝で胸がいっぱいになりますが … もしご興味がわきましたら、左リンクの「ヲシテ」リンク先をご覧くださいませね。

ここにいらして下さる皆様には「釈迦に説法」ですが、現在の「打倒民主党だ」「打倒戦後体制だ」と言う前に、なぜそうなのか? なぜ打倒されなければならないのか? というのを「歴史的見地」から「大和哲学」から大きく見ていくと、それは単に「『中国倭自治区』にならないため」だとかそんな目先のことではなく、もっと大きな縄文から続く天皇を中心とした『日本文明』を護らなけらばならない、ということであり、それゆえの「打倒民主党」「戦後体制脱却」「独立国日本」であると分かります。 

欧州キリスト教文明は、例えフランスやドイツが一地方州になろうとも(当人たちは絶対反対でしょうけど(笑))全体としては滅びはしない。 でも日本文明は一国一文明なのですから、「日本」が滅びてしまえば、マヤ文明インカ文明同様に、ひとつの偉大なる文明が滅びてしまうのです。 だから、護らなければならない。 何が何でもこの戦いには勝利しなくてはいけない … 私たちは、英霊どころではない、偉大なる日本文明を背負っているわけですから。


2011/01/03 [18:10]

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