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まるこのおぼえがき

(旧)地球の反対側で愛をつぶやく

「キリストはいなかった」より考える

太陽

ツァイトガイスト(時代の精神) 「キリストはいなかった」



これでいくと、神=キリスト=太陽 となりイエス・キリストという人物はいなかった、ということになります。 キリストが実際に存在していたかいなかったかはひとまず措いておいて…キリストの誕生日12/25は、もともとは、ケルト信仰で、冬至の祭りであったところに、キリストの誕生日を重ねたものであるというのは以前から聞いていて、「そりゃそうだよね、何百年も後の信者が、キリストの正確な誕生日なんて分かっているはずないじゃない?」と納得してました、「そっちの方が理にかなっている」と。 我が国の神道の頂点である天皇陛下も冬至の時期はとても大切な儀式があるとのことです。 このビデオ制作者は神道の存在を知らないようですが、もし知っていたらきっと驚いていたにちがいないと思います。

神=太陽 ・・・ これは自然で理にかなっている。太古の人々にとって「太陽」がどれほど偉大で大切だったかはちょっと想像を働かせれば簡単に納得できます。(人間の形をした)神が、自分に似せて人間を創った・・・なんて話は信じられません。 太陽神を信仰していた古代エジプト、太陽神・天照大神を信仰している日本神道・・・こっちの方が、人々の心のあり方としてずっと自然だと思います。

例えば後から来た宗教者が、ビール瓶を持ってきて「これは神だから祈るように」と言ったところで、人々は何も感じないでしょう。 ビール瓶はただの瓶にすぎない ビール だからそれまであった信仰場所やシンボルの上に重ね合わせる・・・。 

キリスト教には沢山の奇跡を起こした聖人が存在しますが、これは我が国の多神教・神道だったら、そういう偉人は神になれるのでしょうが、如何せん、キリスト教は一神教で神にはひとりしかなれないので聖人がぞろぞろ出てきたのでしょうね。 もしかして聖地とか聖人伝説とかももともとあったものの上に重ね合わせたのかも知れません・・・。 ということは根本的考え方は多神教と変わらない。

とにかく太古の昔から人々が信仰してきたもの=多神教=の上に一神教が乗っかっている・・・日本の神道だけはこの21世紀の現代において太古の形をそのまま残している・・・私が言いたいのは、信仰というものは何もないところにポッとは生まれない。 作ろうとしても作れない、ということ。

こちらのニュースで(ただ流して見ていただけなので、ソースは示せませんが・・・)、フランスにはあちこちに、戦争のときその場所での戦いで死んだ兵士の名前などが書かれた慰霊碑(?)があります。 ある町で、その慰霊碑が道路建設の邪魔になるから場所を移そうとしたところ、それはその場所にあるから意味があるので、他に移してしまったら意味がなくなる、と抗議している老人達が映っていました。 信仰とはこういうもの。

・・・ということで、靖国神社に代わる国立慰霊施設なんて箱をボコッと作ったとろろで、誰もそこには行かないだろうし、「税金の無駄使いの醜いコンクリートボックス、ひとつ追加!」になるのは目に見えています。 だから反対。 議論するだけ時間の無駄です。

それにしても、諸悪の根源である一神教(=他者は認めないという価値観)のもともとは古代多神教に通じる・・・となったら、この世界の闘争の責任はどうとってくれるのか? もう一度原始に戻り、 屁理屈こねず、 お天道様太陽にただただ手を合わせるところから始めるべきだと思いますよ、世界中の人々がにっこり


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2008/09/23 [18:06]

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