まるこのおぼえがき背景

まるこのおぼえがき

(旧)地球の反対側で愛をつぶやく

日本人の労働観

日本人にとって、働くことは、キリスト教的な苦役ではなく喜びであり、生きることそのものである。

最近の日本人は働かなくなった、との保守派の嘆きもよく耳にします。

言わんとするところは分かるのですが。

しかしちょっと待てといいたい。

そりゃあ、どの時代の日本人も身を粉にして働いてきたでしょう。

だけど、2時間かけて通勤し、夜中まで残業し … なんてことはなかったと思うのですが。

日の出とともに働き始めて…と言っても日が暮れれば家に帰り、夜なべの仕事は多々あれど、それは家族と一緒の家庭の仕事。

他人様のところで働いていても、基本歩いていける距離に仕事場はあったでしょうから、通勤で既にクタクタ、なんてなかったのでは?

現代日本は約70%がサラリーマンという、ある意味異常事態でして、父親が家庭から切り離された場所で、ほとんど人生の大半を会社のためにだけに、回りまわって自分の家族のためでもあるのですけど、働き続けなければならないというのはちょっとおかしい。

この状況で「もっと働け」と発破をかけられても。絶対昔の人より現代人の方が悲惨な気が。

人はある程度暇な時間がなければ考えることはできません。ぼ~としている時間はとても大切。無駄が一切ないような効率第一社会では人は生きていけません。

父親が子供が寝ているうちに家を出て、子供が既に寝ている時間に帰ってくるなんて歪んでいます。そういうのにNOと言う人が出てきたのでは。

「逝きし世の面影」という本に、江戸時代の、子供と一緒になって遊んでいる父親の絵や記録がありますが、そういう社会での「働くことは日本人にとっての喜び」であったわけです。



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2018/06/11 [02:04]

日本の古代を矮小化することなかれ

平安神宮へ行った。映画などでは見ていたが実際に行ったのは初めて。あれは明治に復元されたもので、もと内裏で、古代のそれはもっとずっと大きかったそうで。

奈良の東大寺も本来はもっとずっと大きかったし、出雲大社もそう。宇治の平等院も現在残っているのもは当時のほんの一部。藤原京が、実は想像以上に大きかったことが最近分かってきたし。

もしかして古代日本って、ものすごいスケールだったのかも。何となく、歴史は「現代」が先端で、科学技術やら何やら、すべてにおいて一番優れているような感覚でいたのだが、本当は古代の方が凄かったのかも。当時一般人はまだ藁ぶき掘立小屋に住んでいたわけで、薬師寺を初め、あんな巨大な建築物、それも朱色の、がどんどん建立されていくのを目の当たりにしてきっと目を丸くしていたに違いない。

平城京跡へ行った。復元された朱雀門があるとこ。あれだって一部。遣唐使が乗っていったという当時の船が復元されて野外に展示されていた。当時の恰好をしたガイドのおじさんが説明してくれた。

船を見ながら、「彼らはこんなご飯を食べていて」と説明してくれていたが、「こういうご飯を食べられたのは、あそこ(船の、貴人が乗る部屋)に乗っていた貴族や僧侶だけで、漕ぎ手などはこういう食事(比較して大したことない粗末な食事)をしてたんですよ」と。私は一瞬「はぁ?」となり、「何が言いたいんだ?このおじさん」 …そこには私に「不平等で酷いですね」と言ってほしいようなニュアンスが。「ここに100人以上の人が乗ってて、ほとんどは漕ぎ手で…云々」。そして「最近分かったのですけど、遣唐使、最初は朝貢だったのですね」とも。私は「命がけの航海だったんですね」としか応じなかったが。まさかこの方たち、大勢来ている小学生たちにこういう説明をしているのだろうか?

屋内では、ビデオが流されていた。「国家のために…」と映像で説明されていた。で、私の後方に座っていたおばさん二人の声が耳に入る。「やっぱ国のためだったのね~」と。そこに何となく否定的なニュアンスを感じてしまうのは私のせいなのか?国のためで何が悪い。

当時、大陸には巨大帝国「隋」や「唐」が出来ており、日本としては、必死で対等にならなければならず、そのために天皇を中心とした中央集権国家建設が最優先課題であり…遣唐使に「朝貢」などという意識はなかっただろう。かの国を学ぶ、とともに、素晴らしい我が国を見せる、という誇り、矜持、自信 …日本をりっぱな国にしてみせる…胸にあったのはそういう篤き思いだっただろう。半島人の三跪九叩頭の礼じゃあるまいし。あのおじさんたち、彼らのおかげで今の私たちがあること知っているのかね?考えたこともないんだろう。

知れば知るほど、自分が日本人だからというのではなく、客観的に見て、この国は凄いと思う。スケールが大きすぎて、納まりきれない。源となる縄文時代、縄文人がまた凄いのだが。我が国の古代を、戦後の自虐史観頭で矮小化することなかれ。(自分の国の凄さを教えてもらえない我が国の子供たちは可哀想だ)



2018/06/08 [06:25]

武人国家

観光地に行くと、サムライの恰好ができるようになっていたり、サムライの扮装をした人と一緒に写真がとれたりする。

サムライは外国人にも人気が高いし、日本人もカッコイイと誇りに思っているのだろう。

しかしサムライとは何なのか? 一言で言えば、武人である。軍人である。現代で言えば自衛隊員である。

日本は、一見「平和」だった平安貴族世界の中から、必要に迫られて、武人が生まれてきた。古代の白村江の戦の時代はまだ天皇自ら「武」もなされていたが、時代とともにそれもなくなる。そんな平和ぼけした我が国を守ってきたのは武士たちであった。元寇時、もし武士たちがいなかったら、と想像するとぞっとする。侵略の先兵、宣教師ザビエル達がやってきたのは戦国時代。当時、日本は日本刀などの武器輸出国でもあった。

江戸時代は、サムライ、要は武人が為政者官僚、今時の政治家国家公務員であった。明治維新を成し遂げ、日清・日露と戦い、日本を守ってきたのも、江戸の教育を受け、幕末の内戦を実戦として戦ってきた武士たちである。そこにサムライという名はもうなくなってはいたが。各人を見れば武士の末裔である。

他国の軍隊とは違い、日本の武人は教養深く、誇り高く、天皇のオオミタカラである国民を守ってきたのである。

それが敗戦とともに、軍国主義と徹底的に否定され今に至るわけであるが。

江戸時代を今風に想像してみれば、自衛隊員が制服で街中を歩き、国民から尊敬され、彼らが政治をやり、官僚として働いているわけだ。ついでに言えば、もてはやされている忍者も、要は、CIAである。

サムライを認めるのであれば、自衛隊をも認めなければ矛盾する。

今時の日本人が、サムライをもてはやし、兜をかぶって写真をとったりしているのを見るのは、外国人がキモノを着ているのと同じようなコスプレ感が漂い、寂しい。この違和感は、地に足がついていないということなのか。

防衛はアメリカに守ってもらい、それを恥と思わず、いざという時はアメリカの若者に血を流させろといい、自衛隊の矛盾に満ちた存在には目をつぶり、自衛隊の現場の多大な負担は無視しながら、一方でサムライの鎧をつけて、カッコイイとポーズをとっているのだ。この状況に何も感じない精神とはどれだけ病んでいるのだろう。

2018/05/03 [12:23]

百人一首

百人一首

小倉百人一首がiPhoneで楽しめる&勉強できるんだそう。しかも無料

へぇ、何かすごい時代に生きてるのねぇ…。

でも、このiPhone百人一首、プロの読み手の朗読音声の他に、現代語訳,和歌の成り立ちや作者についての解説,修辞についての解説がついてるらしいのですけど … 私としてはここが心配! いったいどんな解説よ!?

私も「教養を~っ」と百人一首の解説本を何冊か買って持っているのですが…どうも、何か、「何だかな~」感が強くて、要するに読んでいても興味がわかない…っ、で、ついに出ました。「いよ、待ってました~っ!」の「ねずさんの 日本の心で読み解く百人一首」! ここに書かれているコメントをお読みになっていただければ…そう、まさに、やっと腑に落ちる解説に巡り合えたのです。

たとえば一番歌。

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 我ころも手は露にぬれつつ  天智天皇

【とある解説本】 秋の田の、かり取りのすんだ稲の番をする小屋にいると、苫ぶきの屋根の目があらいために、私の着物の袖はしたたり落ちる夜露でぬれてしまう。ただでさえ、つらい涙が流れて袖をぬらしているのに。

同ページにあるマンガ。 
即位したのちも人々のくらしへの目配りをおこたりませんでした。
(天智天皇)「その小屋はなんじゃ?」
(農民)「かり取った稲をおさめる小屋です。夜も寝ずに稲の番をするのです…。」
(天智天皇)「農民のくらしは、なんともつらいものじゃのう…。」

【ねずさん本】 解説は長いのでそれは直接お読みいただくとして。 一部抜粋。 

天皇は朝早くか夜遅く、つまり太陽が出ていない時間帯に、粗末な庵の中でご自身の手で藁を編んでいたことが、この歌から分かります。
天皇が自ら編んだござを、さすがに一般の人が使うわけにはいきません。ということはそのござは、天皇ご自身や、天皇のご家族が使うものだと分かります。
天皇は我が国の最高権威であり、我が国で一番貴い方です。その天皇が外が暗い時刻に、粗末な庵の中で、自らの手を濡らし、袖を濡らしながら、家族が使うござを編んでいるのです。
それだけではありません。作業場でござを編むくらいなのですから、おそらく天智天皇は、田植えから、田の雑草取り、稲の刈り入れから、藁の天日干し等、民と共に農作業をしていたであろうことが、この短い歌の中から読み取ることができます。
…(略)…
田んぼで大人たちが農作業をしているそばで、子供たちが遊んでいます。
「おいっ! お前たち。 この世はなぁ、天子様だって朝早くから夜遅くまで働いておいでなんだ。『百人一首』にそう書いてあったろ。 こら! お前たちも一緒に仕事を手伝わんかっ!」
お父さんやおじいちゃんの、そんな声が何やら聞こえてくるような気がしませんか。

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ある子はまだ幼稚園児なのですが、百人一首をもう諳んじているのだとか。「何で?」と訊いたら「音がキレイだから」との答えが。意味はまだ分かっていないのですね。(でも本当はこうやって音から入っていくのが正しいと思います)
で彼女のお父上はさっそくこのねずさんの解説本を買ったそうで。 そのうちこの子は必ず内容を知りたくなってお父さんに訊くでしょう。 その時に教えてあげられるように。 そして意味を知ったこの子は百人一首が更に好きになるに違いありません。(とある解説本の解説では、「何それ?」となって興味をなくしてしまう確率が高いのでは。ちなみに『親子で覚える』ための解説本なんですけどね)

ねずさんの 日本の心で読み解く百人一首 分厚くて、お値段もそこそこしますけど、表紙からして格調高く、気の向くままにどのページを開いても好し。更にも増してこの世知辛い世の中、古人と静かに心を通わせる極上の一時を過ごせること請け合いです。





















2015/05/13 [01:09]

歴史



国連、ナチスの英雄化阻止を世界に要請  22.12.2010, 10:41

 国連総会では21日、全ての国に対してナチズムやナチス親衛隊の英雄化、およびファシズムの犠牲者の記念碑の冒涜や破壊の試みを阻止するよう求めた決議が採られた。
 129カ国が賛成、反対は米国、パラオ、マーシャル諸島の3カ国だった。ヨーロッパ連合(EU)加盟国やウクライナ、グルジア、モルドヴァなど52カ国は棄権した。

 今回の国連決議は05年からロシアのイニシアチブで審議されてきたもので、徐々に支持を集めていった。

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さて、わが日本は…まさか、賛成? 反対? それとも棄権? … ヒトラー以上にユダヤ人虐殺をしたスターリンのお国、ロシアが恥知らずにもこういう提案をするとは、…

私は、ヒトラーのユダヤ人虐殺がなかったとは、詳しくないしコメントは避けますが、それにしても、それについて議論も許されないというのは異常であることは分かります。ユダヤ人虐殺600万人説に懐疑的意見を言うだけで公職追放のヨーロッパ。 つい最近も現ローマ法王が否定したとかしないとかで大騒ぎになっていました。


古代エジプトのピラミッドが実は『農閑期の仕事提供の公共事業だった』というのは定説になりつつあると思いますが、これだって、将来的にはまた別の分析が出てくる可能性もあるわけです。

つまり、『歴史』とは、新しく発見された情報を分析、あるいは既存の情報を新たに分析しなおすことによって、いつでも「見方」が変わる可能性のある《何か》であり、そこに「絶対的な見方」は存在しない、というか、できない。

過去を、新しく発見されたものから、《作り上げていく》のが『歴史』である以上、『絶対的な何か』を見つけることは不可能であることぐらい、ド素人の私ですら理解できることです。 常識で考えれば。

『歴史』…つまりは『過去』を、現代の価値観で見てはいけない。

『歴史』は、善悪で見てはいけない。

『歴史』は、当時の価値観でもって見なければいけない。

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で、思っちゃうのですけど、例えばナチスユダヤ人虐殺600万人が定説ということで、ホロコーストがなかった、とか人数は少なかった、とか言っちゃいけないわけですが … じゃあサ、もし将来、実は1200万人だったってことが証明されちゃったらどうなるのでしょう? そういう場合にも600万を変えちゃいけないのでしょうか? そりゃまた酷いじゃないですか?

南京虐殺だってなかったわけですが、もしかして何時の日か、もしホントの××虐殺が見つかっちゃったら、保守派の人たちはどうするのでしょう? そしたら手のひらを返して、今度こそ本当に「日本軍は悪かった」「戦前は悪だった」と叫ぶのでしょうか?

大切なことは、そういった「過去」を現在の価値観で見ないこと。なぜそうなったのか、を当時の状況から分析し、将来の参考にはしても、現在の善悪で断罪しないこと。これは「言うは易し」で決して簡単なことではありませんけど。

美智子皇后の平成9年のお言葉より。

現在の問題でも、日本の過去に関する問題でも、簡単に結論づけることができず、さまざまな見地からの考察と、広い分野の人々による討論が必要とされる問題が数多くあります。 複雑な問題を直ちに結論に導けない時、その複雑さに耐え、問題を担い続けていく忍耐と持久力を持つ社会であって欲しいと願っています。


『歴史』と対峙する時は、素直な心で、謙虚に、でも「発見されてしまった事実」に耐えうるだけの精神的強靭さが必要です。 絶対的な、確かな何かがない、常に不安定な状態の中で生きていけるだけの強さ。

… これって何についても言えることですけどね。今の「何か」で得をしているから、それが違うと分かっていても、そこから方向転換することができず、それにしがみつく。今までの自分を否定することにもなってしまうかもしれないのですから…。

歳をとるにつれて、自分が今まで信じていたことを覆すことは難しくなってきます。直視することが難しくなってくる。どれだけ素直に物事を考えられるか … 自分の頭の若さのバロメーターにもなります。

それにしても、それにしても … 何で現代人はこんなにも高慢になってしまったのでしょうか? … イヤ、「世界のサヨク」と言ったほうが正しいのかな? 自分の価値観で、反論できない「過去」を断罪する…。

いろいろ話が飛びますが、思うに「サヨク」って、簡単で絶対な「何か」を与えてくれるのでしょうね。 だから、モノの複雑さ、不安定さに耐えられない「弱い人」は飛びついちゃう…。本当は人生にそんなものなんてありはしないのに。

話戻って、だいたいロシアに関して言えば、ドイツとロシアの違いは、敗戦国か戦勝国かだけでしょ? ああ、この高慢ぶり! 許せんよ。 賛成したバカ国家はどことどこだい? 129カ国! まさかこの中に支那とか南北朝鮮とか入っている、なんてことはあるまいな????







2011/01/17 [01:43]

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